おいもの人生ケセラセラ

40代主婦。子育ての日常と認知症母のこと。

未来を憂えない

今年のお飾り。ラッキーカラーの金色と、魔除の唐辛子がついたものを選びました。

お正月もあっという間に過ぎ去り、学校も始まり、ようやく日常がもどってきました。

子供たちを学校に送り出したら、実家に電話。やはりechoshowだと顔が見られて安心。

母はどう思っているのか分かりませんが、テレビ電話にも少し慣れてきた感があります。

先日は、カメラから外れていたので、『おかーさんの顔が見えないよー』と伝えたら、見える位置まで移動してくれました。(echoshow10だと、カメラが動くようですが、実家の父母の部屋に置くスペースがなさそうなので、今回はechoshow8にしました💦)

 

昨年は、母のことで、家族の中も荒れておりました。先々を考えて介護認定に奔走したり、デイサービス利用を進めようとする私を、同居の父と弟は良く思っていなかったと思います。

今振り返ると、私もあの時は必死すぎました。同居弟からの時々届く長文のヘルプLINE。弟の限界が近いのだと私は勝手に感じ、先回り先回りしようと動いていました。

実際、母に会いに行くと、弟が言うほど母の状態が悪いようには見えず……

今考えれば、私が行った時の母はよそ行きの顔をしていたのかもしれません。

私が母に大した違和感を感じずとも、同居の父と弟が1番近くで母の状態の変化を見ていたのですから、本当は1番辛い思いをしていたのだと思います。

先回りして外部サービスに繋げようと躍起になるのではなく、まずは父と弟の気持ちを汲んであげることが最優先だったなぁと今改めて反省しています……。

そこに思いを馳せられなかった私は未熟でした。

 

とはいえ、のちのち必ず必要となるとは思っていたので、あの時介護認定をとっておいて良かったと思います。(2023.5月の話です)

介護認定をとることにより、父と弟も、母の状態をある意味客観視できるようになってきたのではないでしょうか。

それから半年で、デイサービス利用が始まりました。その間、私もヤキモキしましたが、主介護者の父が、必要性を感じるまではそのくらい時間が必要だった、ということだと思います。

 

タイトルにした、『未来を憂えない』ですが、先回りしすぎない。という意味でも、自分への戒めとしています。

必要な時に必要なことをする。周りな気持ちを汲まずに先回りしても上手くいかない、ということを身をもって感じたので。

 

そして、起こっていないことに対し心配しすぎない、という自分への戒め。

先を見越して計画を立てておくことは必要ではありますが、考えすぎると、『今』を見失います。

今、今日、この時間。が繋がって、未来を作っていく。

今を大切に生きていけば、きっと良い未来があると思うのです。

逆に、未来を考えすぎて、今を疎かにすることは良い未来に繋がるとは考えにくい。

『未来』は必ず、『今』の延長線上にある。

そのことを今年は肝に銘じて、日々を粛々と過ごしていこうと思っています。

 

未来を憂わなすぎず、でも起こり得ることの覚悟はして、なにか起こった時は、その時に必要な最大限のことをしていく。

 

母の毎日が穏やかであるよう祈ること、毎日母に声をかけ続けること、自分の暮らしを大切にすること。

元旦の災害を改めて考えています。

日々を粛々と大切に過ごしていれば、もし突然命を失うことがあっても後悔はしないだろうと、そう思うのです。

いつどこでなにがあるかなど、誰にも分からないのだから。

10年前の私が、10年後に母の認知症で悩んでいるなんて想像もつかなかったように、また10年後の私の姿など想像もつきません。

 

ただ、私は、

『想像出来る未来は実現できる』

座右の銘にしておりますので、良い未来を思い描いていきます。

これからも。

 

追記・文体が日々変化してますが、その時の気分で書いておりますのであしからず……(でも統一した方が良いのかな🤔)

 

 

 

 

 

 

七草がゆ

新年も七日目。
家族の健康を祈り、七草がゆ


子どものころは、七草がゆが好きではなかったなぁ、とふと思い出す。

 

私の実家は、暦に基づいた風習を大事にする家だった。
年末は、杵と臼で本格的な餅つき。
おせち料理は、母と祖母が手作り含めて重箱に詰め、
元旦は太平洋から昇る初日の出を拝みに行き、
一家の長である父が新年の挨拶をしてから、おせちやお雑煮を食す。
節分は、柊にイワシの頭をさして飾り、豆まき。
ひな祭りや、こどもの日、お彼岸やお盆、十五夜……etc.

季節の風習を大切にすることは、祖母や父母から教わった。
そして、それらは今私が自分の子供たちに細々と教えている。

逆に夫の家では、そのような風習を大切にしてきた様子はなく、
私が季節の風習を愛でると驚く始末。
そのようなことが当たり前だった私から見ると、
家によって随分違うものだな、と私も驚く。


季節の風習を大事に、当たり前のように教えてくれた祖母や父母には
感謝している。
毎朝ご先祖様に手を合わせることも、祖母や父母がやっていたから
自然に身についた。

もちろん、そのようなことをしなくとも生きていけるし、
生活には何の支障も出ない。
だが、これは気持ちの問題だと思っている。
季節に想いを巡らし感謝する、ご先祖様に手を合わせ感謝する。
その想いの大切さを、私は教えてもらったと思っている。

今はその風習も、母は何にもできないし、しなくなってしまった。
認知症になり、暦も分からなくなってしまっているので
仕方ないとはいえ、悲しくなる。

この間の帰省の時は、仏壇の花が枯れているのが気にかかった。
いつもきれいな花を絶やさず仏壇に飾っている母を、
私は誇りにさえ思っていたのに。

まだ元気な父が、今はできることを細々とやっているのだろう。

今年両親は、七草がゆを食べたのだろうか……

 

そんな思いが渦巻く、一月七日。


 

 

文明の機器に助けられる

文明の機器、Amazon echoSHOW 8。

昨年末、実家に帰省した際に、取り付けてきた。

遠距離介護をしてる方が皆様便利だと言っており、参考にさせて頂いた。

これがまた本当に便利。

まるで隣の部屋にいるかのように、実家の様子をうかがうことができる。

まだ父がしっかりしているので、繋ぐのは最低限にしている。プライバシーを考えて。

 

今日は、今年最初の母のデイサービスの日。

そろそろお迎えかな?というタイミングでAlexaの呼びかけ機能を使って、実家と繋ぐ。

既に母は準備万端。デイサービスを楽しみにしている様子があり、家族としてはホッとしている。

 

父もまだ仕事を続けており、午前中外出することも多い。

数時間だし、母は1人で過ごせるのだが、ぼーっとテレビを見るか、居眠りをするかで、刺激のない時間を過ごしてしまう。

それならデイサービスに行き、様々な方と交流(交流しなくてもその場にいるだけでも刺激になるはず)した方が、母にとってプラスになると感じるのだ。

もちろん、自分から意欲的に色々できるならば、デイサービスなど行かなくても大丈夫だと思っているが、母は既にそうではない。

ようやく父母が重い腰を上げ、デイサービス利用に前向きになってくれたのが、昨年12月。

尿漏れが酷く、本人もそのことで、デイサービスの方とやりとりするのに疲弊した昨年末。

尿漏れ問題さえ解決すれば、デイサービスに通うことは何も支障はないと感じ、家族の想いと、母の気持ちを代弁して手紙に書いた。

デイサービスの方からは、感謝の言葉を頂いたが、母の気持ちに寄り添いながらサポートしていきます、のお返事を頂き、私の方がありがたい気持ちになった。

 

今朝のお迎え時、ちょうどAlexaで繋いでいたので、カメラ越しにデイサービスのスタッフさんにご挨拶。物腰の柔らかいスタッフさんで、私も安心した。

母は、こちらを見るでもなく(笑)、スムーズに出発。慣れてきたんだな、と安心できた場面だった。

 

父には、母が外出の間は少しでも自分だけの時間を過ごして欲しい。

気持ちもゆっくりできるだろう。

 

今後も文明の機器に助けられながら、私に出来る範囲で父母を助けていきたいと思う🙏🏻本当にありがとう、Amazon echo show!そして、それを教えてくださった介護仲間の皆様にも感謝を🙏🏻

遠くの親類より近くの他人

タイトルの意味を説明する。

実家の母が日頃仲良くしてもらっていた友人がいた。私の幼なじみのお母さんである。

小さい頃は、幼なじみの家が近くにあり、よく遊んだ。区画整理などで、その子のうちがウチの目の前に移動してきたこともあったなぁ。本当によく遊んだ友達だ。

母同士も、共通の友人が居たりしたようで仲良くしていた。

 

その後、幼なじみは家を新築したので、ウチから少し離れてしまったのだけど、母は自転車に乗り、よくお茶をするために訪ねていたようだ。

だが、それも多分コロナでできなくなり、しばらく疎遠になっている模様。

実家に帰ると、〇〇さんちはこの辺りだよね?とドライブしながら母がよく話す。よく訪ねていたことを覚えているんだろうな。

母にはたくさん友人がいるようには見受けられない。

今は訪ねてくるような友人はいない様子だし、話にも出てこない。

認知症で孤独な気持ちになっている上に、友人も訪ねてこないとくれば、頼れるのは父だけ。気持ちの拠り所は父だけになっているようだった。

 

そこで、私はその幼なじみと久しぶりに連絡をとることにした。

幼なじみの母と仲良くしてもらっていた母。少しでも関係を復活できないか。

幸い、年賀状のやりとりはずっと続けていたので、今年の年賀状に少しばかり事情を書き、とりあえずLINEで繋がりたいと話した。

幼なじみに年賀状が届いたようで(今は実家から遠く離れた地に住んでいる)、連絡が来た。

幼なじみもしばらく連絡していない間に色々あったらしいが、今は元気にしているようで安心した。

幼なじみに、私の母の事情を話した。時々でいいので、幼なじみのお母さんに顔を見せに来てもらえないか、と頼んだ。

父からは、母が認知症になったことや、ウチの事情は話していないはずなので驚くかもしれない。

そして、これは父に相談せずに私が勝手に幼なじみに話した。

父に話したら、止められるかもしれないからだ。

余計なことかもしれなかった。

だが、相手は母の友人だ。私がその友人の立場なら、少しでも力になりたいと思うだろう。

顔を見せてくれるだけで良いのだ。

それだけで、母はきっと、「私はひとりじゃない。」と、元気が出ると思った。

 

親戚に話した方が良いか?と父に訪ねた時、NGが出た。

でもそれは私も納得できた。

大した助けにならないであろう事が、これまでの親戚付き合いから予想できたからだ。

遠くの親類より近くの他人、とはよく言ったものだと思う。

 

その幼なじみの家に頼るつもりはないが、少しだけ気にかけてもらえたらそれで良いのだ。顔を見せてくれるだけで。

 

どうか伝わりますように。

 

新年2日目に思うこと

新年2日目。

本日も相変わらず良いお天気で、雪のないお正月。

まず、今回の地震で被災された方にお見舞い申し上げます。1日も早い復旧を祈っています。

昨日夕刻に起きた能登半島沖地震。私たち家族は、毎年恒例の初詣に出かけており、その最中、たくさんの参拝客の緊急地震アラームが一斉に鳴りだした。

東北地方内陸だが、ほとんど揺れは感じず。外だったからかもしれない。

自宅に帰り、ニュースを見ると、被災地は酷い状況。しかも、大津波警報まで出ている。沿岸の方は、とにかく早く逃げて欲しい。祈る気持ちでニュースを見る。

 

私は、東日本大震災の時、北関東の実家に里帰り出産中だった。

大津波警報、と聞くと、あの時の恐怖を思い出す。

あの時も、私の実家付近は震度6強

体験した事のない揺れに驚き、まだ産まれて1ヶ月の長女を抱き、慌てて家の外に出た。

その時見た光景は未だに脳裏に焼き付いて離れない。

家がコンニャクのように、ゆらゆらと波打って揺れていた。いつ倒壊するか、と思いながら、娘を抱きかかえ、まるでスローモーションのようなその光景を見ていた。

その後の、余震。原発事故。

私たちは避難を余儀なくされ、乳飲み子を抱えながら避難所生活、その後は親戚の元に身を寄せた。

日常があっという間に非日常と変わることを、身をもって体験した出来事。

あの時から私の死生観は変わったし、災害に対する気持ちも変わった。

 

当たり前の日常は、当たり前ではない。

いつどこで災害が起きるか誰も分からない。

明日の朝、命があるかどうかなど分からないのだ。

だからこそ、1日1日を大切に。当たり前と思わず精一杯生きよう。

改めて感じた今回の災害。

被災された方の日常が少しでも早く戻りますように。どうか。

私もできる範囲で援助をしたいと思う。

 

そんな中、母に電話。

今日は何となく元気がないように感じた。もしかしたら、昨日から地震のニュースばかり見てしまったか?認知症だからといって、何も分からない訳では無い。むしろ、感情の部分は敏感になっているから、テレビのニュースから感じるマイナスなエネルギーを受けてしまったのかもしれない。

とにかくテレビ命の両親。

こんな時こそ、テレビは見ずに音楽を聞いたりして欲しい。

話しているうちに、少しづつ声色は明るくなった母。少しでも私からプラスのエネルギーを与えられたら。

 

様々な思いが渦巻いた、新年2日目。

 

 

 

 

 

 

2024始まりました

あけましておめでとうございます。

2024、令和6年が始まりました。今年もどうぞよろしくお願いします。

今年から、本格的にブログの執筆を始めようと思っています。

私は元々、文を書くことが好きで、考えたこと、感じたことを文字で整理する癖?があります。小学生の時から大学まで、ずっと日記を書いていました。(今はどこにあるのか……見られたらかなり恥ずかしい青春時代……)

自分の考えや思いを文字にすることで、俯瞰して見ることが出来、より冷静に自分と向き合うことが出来るので、それを文字におこすことが好きです。

 

子育ての日々の出来事から感じたこと、考えたこと、また、離れて住む両親のこと。認知症になった母のこと。

主に母のことが中心とはなりそうですが、あっという間に過ぎ去る日々を少しでも残しておきたいと思い、ブログに綴っていきます。

 

私の住むところは雪国ですが、新年は、太陽がお目見えする、雪のない穏やかなはじまりの日となりました。

この元日のお天気のように、今年一年が穏やかに過ぎるよう願っています。

 

朝、実家の父母に、テレビ電話で新年のご挨拶。昨日の夕方は、ご機嫌ナナメの母でしたが、やはり朝の方が調子が良さそうです。

カメラをしっかりと見て、お話出来ました。娘達の姿も見せてあげられ、嬉しかったです。

早速、父にお出かけを要求しておりました(笑)海の方にドライブに行く(実家は海の近くです)と言っていました。

まずは両親共に元気そうな姿が見られ、ひと安心。テレビ電話の威力は凄い。テクノロジーの進化はすごいなぁ、ありがたいです🙏🏻

こんな感じで、ゆるゆると日々を綴っていきます。

どうぞよろしくお願いします。

 

2024.1.1 おいも

 

 

2023大晦日に。

2023大晦日

先日の帰省の際に取り付けた、Amazon echoSHOW。顔を見て話せるから、母にとっても良いだろうと思ったが……

夕方の母は、ご機嫌ナナメ。カメラの方をちっとも向こうとしない。

カメラのこちら側の私を認識できていないのか?父だけ意気揚々と話しているのが気に入らないのか?もしかして知らない女の人と話してると思っているとか?(笑)

 

ここ最近、夕方は不穏気味の母。日時感覚はなくなってきているから、大晦日という特別な感じもしていないのかもしれない。

夕方の母の不穏は、たいてい、「みんなに迷惑をかけているし、早く死んだ方が良い、毎日死ぬことばかり考えている」といった、鬱病のような心理状態。

私の母が、死にたいと口にするなんて、と最初は驚きと悲しさで、胸が苦しくなった。最近は少し受け流せるようになったが、母にとっての夕方は、1番つらくて苦しい時間なのかもしれない。

主婦だった母にとって、夕方は1番忙しい時間だったはずだ。夕食の支度やお風呂の準備、私ら子供たちの世話……忙しそうにしている母の、台所に立つ後ろ姿をありありと思い出せる。

それが出来なくなった、やる気が出ない、そんな自分を嫌というほど感じてしまうのが、夕方の時間帯なのかもしれない。

 

良いお年をお迎えください、と母にも言ったが、うわの空……。だが、その手は一生懸命動いており、洗濯物をたたんでいた。泣けてくる。

父も、母の不穏に付き合うのは大変だと思うので、母の反応がなくても、夕方にアレクサで繋ぐのは父にとっては有効かもしれない。少しでも気をまぎらわせられたら。

 

そんなことを思う大晦日

来年はどんな1年になるのだろう。なるべく父母の元に顔を出し、父母の姿を目と心に焼きつけたいと思う。

いつお別れが来るかなど、誰にも分かりえないのだから。

 

来年もつらつらと、私の想いや、父母の様子を記録できればと思っている。

2023ありがとう。