おいもの人生ケセラセラ

40代主婦。子育ての日常と認知症母のこと。

遠くの親類より近くの他人

タイトルの意味を説明する。

実家の母が日頃仲良くしてもらっていた友人がいた。私の幼なじみのお母さんである。

小さい頃は、幼なじみの家が近くにあり、よく遊んだ。区画整理などで、その子のうちがウチの目の前に移動してきたこともあったなぁ。本当によく遊んだ友達だ。

母同士も、共通の友人が居たりしたようで仲良くしていた。

 

その後、幼なじみは家を新築したので、ウチから少し離れてしまったのだけど、母は自転車に乗り、よくお茶をするために訪ねていたようだ。

だが、それも多分コロナでできなくなり、しばらく疎遠になっている模様。

実家に帰ると、〇〇さんちはこの辺りだよね?とドライブしながら母がよく話す。よく訪ねていたことを覚えているんだろうな。

母にはたくさん友人がいるようには見受けられない。

今は訪ねてくるような友人はいない様子だし、話にも出てこない。

認知症で孤独な気持ちになっている上に、友人も訪ねてこないとくれば、頼れるのは父だけ。気持ちの拠り所は父だけになっているようだった。

 

そこで、私はその幼なじみと久しぶりに連絡をとることにした。

幼なじみの母と仲良くしてもらっていた母。少しでも関係を復活できないか。

幸い、年賀状のやりとりはずっと続けていたので、今年の年賀状に少しばかり事情を書き、とりあえずLINEで繋がりたいと話した。

幼なじみに年賀状が届いたようで(今は実家から遠く離れた地に住んでいる)、連絡が来た。

幼なじみもしばらく連絡していない間に色々あったらしいが、今は元気にしているようで安心した。

幼なじみに、私の母の事情を話した。時々でいいので、幼なじみのお母さんに顔を見せに来てもらえないか、と頼んだ。

父からは、母が認知症になったことや、ウチの事情は話していないはずなので驚くかもしれない。

そして、これは父に相談せずに私が勝手に幼なじみに話した。

父に話したら、止められるかもしれないからだ。

余計なことかもしれなかった。

だが、相手は母の友人だ。私がその友人の立場なら、少しでも力になりたいと思うだろう。

顔を見せてくれるだけで良いのだ。

それだけで、母はきっと、「私はひとりじゃない。」と、元気が出ると思った。

 

親戚に話した方が良いか?と父に訪ねた時、NGが出た。

でもそれは私も納得できた。

大した助けにならないであろう事が、これまでの親戚付き合いから予想できたからだ。

遠くの親類より近くの他人、とはよく言ったものだと思う。

 

その幼なじみの家に頼るつもりはないが、少しだけ気にかけてもらえたらそれで良いのだ。顔を見せてくれるだけで。

 

どうか伝わりますように。