おいもの人生ケセラセラ

40代主婦。子育ての日常と認知症母のこと。

娘を連れて実家帰省 其の一

久しぶりのブログとなります。

日々が割と穏やかに過ぎていき、母のことで
気になることも少なかったため、こちらに書こう、という気持ちに
なかなかならず。

前回の帰省から、毎日のアレクサでのテレビ電話。
毎朝、毎夕。
朝は元気な母、夕方はちょっと元気のない母。
そんな母の姿が毎日繰り返されるものの、
元気は元気。大きな病気も、風邪もひかず日々を過ごしている。

前回の帰省は昨年末。
三か月空いてしまった。とはいえ、
毎日顔を見て話していたので、久しぶりという気はしなかった。

今回は、娘たち二人を連れての久々の泊りでの帰省。
娘たちと泊りで行くのは、二年ぶりくらいかも。

長女や次女が小さい頃は、よく遊びに行っていた。
娘たちも両親にはたくさん世話になってきたのだ。

久しぶりに実家へ行った感想は、
『あぁ、母は、色々できなくなっているんだな』だった…
あんなに荒れていた冷蔵庫。
もちろん今回も干からびた焼き魚や、腐ったきゅうりや
色んなものが出てはきたが、一時期のひどすぎる冷蔵庫とは違った。
最近は父もチェックしてくれているのかもしれないが、
母が明らかに料理をしなくなった、のだろう。
あんなに腐った野菜だらけだった野菜室。
ほぼ入っていない。
朝の様子を見ていると、野菜を茹でることもしなくなったようだ。
毎朝、野菜のお浸しを作るのが日課だったのに。
包丁もほとんど使わなくなったのだろう。

今回は何故だか、長ネギとしいたけ祭りではあった。大量の長ネギとしいたけ。
季節柄、スーパーに行くと目に入るので買ってしまうのかもしれない。
大量に腐った長ネギは処分した。しいたけは私が持ち帰った。

昨年末に帰省した際に、トイレ掃除と風呂掃除は徹底的に行ったので、
割とキレイに保持されていた。
三か月に一度くらいの割合できれいにしておくと良さそうだ。

短期記憶がほぼなくなる母ではあるが、毎日のテレビ電話のおかげもあるのか、
娘たちの顔も名前も忘れてはいなかった。

確かにできないことは増えてきたが、
高齢夫婦だけで毎日の生活を営んでいるだけでも充分立派なことなのではないか。

私が子供のころを思い返してみると、同居していた祖母は
家事などほぼしていなかった。家事は、嫁である母がしていたのだ。
祖母はまさにご隠居状態であった。
今は核家族が増え、三世代同居する家も少なくなってきているから、
高齢者のできない姿が目立つが、昔は歳を取ったら世代交代が自然と
出来ていたのだろう。
色んな事が出来なくなった行くことは恥ずかしいことではなく、
きっと自然なことなのだ。
だからそれを憂うこともないし、悠々と隠居生活を楽しめばいいのだ。
できないことはしない、できることだけをする。
周りや便利なものに頼り、無理せず生活する。
それだけで充分ではないか。

書きたいことがたくさんあり、まとまらなくなってきたので、
今回の帰省の記録は、いくつかに分けて書いていこうと思う。





 

最近の母

今年は暖冬のようで、いつもならまだまだ雪に閉ざされる我が県も何だかもう春のような日差し。

有難いことだが、今年の夏も暑いのかな……と暑さに弱い私は先を憂いでいる……

 

最近の母、波はあるものの、調子が良さそうだ。

以前記事にしたが、靴下をチグハグにはいていたのだが、そんな自分に気づいていた。

『この靴下、左右違うね』と、自分で言っていた。

また、『今日は、学校は休みだね』と、私の置いてきた大きめのデジタルカレンダーを見る癖がついたようで、曜日が分からず凹むことは減っているように思える。

昨日は、週一回のデイサービスだったが、久しぶりに尿失禁したようで、ズボンを借りてきた。

必ずパッドをつけていけばなんの問題もないよ、と窘めると、『分かりました!!』と妙に素直な返事。

朝、Alexaで繋ぐと、外出中の父の帰りを待つ母は、たいていおやつをポリポリ食べながらくつろいでいる。

毎日忙しく、ゆっくり座ってお茶を飲む姿さえ見たことがなかった母。夜はコタツでよく寝落ちをしていた母。

今やっとゆっくりした時間が取れているのだな、と改めて思う。認知症さえなかったら、とも思うが、それはもう仕方のないことだ。

これからをどう生きるか。

今を受け入れて、前向きに進むこと。それが一番大切なことだ。

 

ただ一つ気になるのは、差し歯だった前歯がなくなったとこのこと。

見つからないらしい。どこに行った???😅

 

ほう・れん・そう は、大切!

久しぶりのブログ。

このブログは、主に認知症の母の介護を通して感じたことや気づきを書いていこうと思っているが、最近、なんとも母の調子が良いようで。

最近は、それほど大きな事件もなく、平穏に日々が過ぎていっている印象なのだ。

有難いことだ。

 

ちょっとした事件、というほどでもないのだが、
記録として書いておこう。

タイトルの通り、ほうれんそう(報告、連絡、相談)は大事だなぁと改めて感じたお話。


毎週金曜日のデイサービスでのこと。
先週の金曜日、帰宅した母とテレビ電話しようと、アレクサをつなぐと
何やら父が電話中。どうやらデイサービスにかけている模様。
少し時間をおいてテレビ電話し直すと、
送りをしてもらった際、スタッフから
今度から、着替えとタオル類を持たせてください。お風呂に入るので!
と、言い渡されたと。
隣で母が、「お風呂は入りたくない…」と言っているのに、
強制的に入るよう促すような言い方だった、と。
その日の連絡帳には、『入浴しましたがシャワーのみ』と書かれており、
入浴を希望していないのに、「????」となったようだ。

 

 

デイサービスのスタッフさんは、「入浴は強制ではありません、申し訳ありません」と
電話口で謝ってくださったようだ。
その日、時計を忘れてきた母、その日の夜、
スタッフさんが届けてくださり、重ねてお詫びしてもらった、と。

 

クレーマーだと思われると嫌だから、あまり強くは言ってない、と父。
父は、正義感の強さと短気な性格ゆえに、
内容によっては割とけんか腰になってしまうので、心配していたのだが、
父も母の為を思って加減した様子。

以前、私はデイでの母の失禁について相談の電話をした。
その時話したスタッフさんが、お風呂も入ってほしい、と
母の入浴を強く勧めていたのだ。
母の服から尿臭がすることから、(最近はパッドをしたり、尿臭の染み込んだズボンは取り替えたりしたので、幾分良くなっているはず)、
お風呂に入れていないのでは。と推測しているようだった。

一応、母は毎日お風呂に入っている(…が、どのように入浴しているかは謎だが…)。
洗えていないにしても、湯舟には浸かっているはず。
湯船に入っていれば、多少なりとも汚れは落ちているはず。

 

家で入浴はできているので、デイでの入浴は
本人が必要と思っていない、また、家族もまだ必要としていないので、
断っていたはずなのだ。

今回のことは、デイスタッフと、家族間の情報のやりとりが
少なかったせいで起こったことのような気がしている。
私は離れているので、デイの連絡帳を書くことはできないのだが、
本当は母の日頃の生活の様子を書いてあげたい。

一日預かる側としては、その情報を基に、
入浴支援はじめ、様々な支援を考えてくれるはず。


私は保育士の資格を持っており、保育士をしていた頃は子供を預かる側だったが、
その子のおうちでの様子などは、保育生活に必要な情報だったりする。

一日預かる、という点。
認知症があり、質問しても的を得ない回答などが多い点。
この二点からも、やはり家族からの情報はある程度必要だろう。

母を一緒に見守ってもらう、という気持ちは、
家族も持っていないといけない、と今回のことで改めて感じた。
お互いの意思疎通は大切。

主介護者の父にも、このことを理解してもらわないといけないな。

今回のことを通して、介護者家族と施設側との情報のやり取り、
意思疎通の大切さ、信頼関係を築くための会話、
その大切さを学んだ気がする。

お互い母の為を思ってのこと。
今後も良い方向に進むことを祈っている。

母の塗った塗り絵。恵方巻が伊達巻みたい!色味が優しい感じで何だかホッとした。願い事が叶いますように🙏🏻

 









 

ちくはぐだけど、何故か愛おしい

母、金曜日は週1回通っているデイサービスの日です。

お迎えがくるタイミングに合わせて、行ってらっしゃい!をする為に、アレクサで繋ぎます。

準備万端で、お迎えを待つ母。行く気満々です。最初は気乗りせずにいたのに、今ではお迎えの車はまだか?と外に様子を見に行くまでに。

きっとデイサービスのスタッフさんが良くしてくださるのでしょう。

なんだかんだ言いつつも、家でやることなくボケーっとテレビを見てるよりは、間違いなく楽しいはず。

お迎えが来るまでの間、デイサービスで体操をやっている話になり、「ほら、お父さんはできないでしょ」と意気揚々と腕を回す母(笑)。楽しそうじゃないか!

父にも行ってもらいたいくらいだな、ほんと。

健康観察から、体操、栄養あるご飯におやつ、楽しい趣味の時間。至れり尽くせりですもの。羨ましい。

 

今日はお迎えがちょっと遅かったようで、来るまでの間にビスケットを頬張りながらくつろぐ母。足をテーブルに乗せるの、何とかならんか(笑)お行儀悪いな(笑)

こんなこと、絶対しない母だったのに、子供みたいです。でも、何だか愛おしく感じるのです。

そして、その足を見ると……

ん??靴下、違うんじゃない?😂

どうやら種類の違う靴下を履いている模様(笑)。敢えて指摘しませんでした。大した問題じゃないしね。

靴下ちぐはぐ。何故かそれも愛おしい。

 

そうこうしてるうちに、お迎えがきて出発。行ってらっしゃい、お母さん!

 

見守りに役立つ

本日の朝のテレビ電話の様子

役立つechoshow。

本当に導入して良かったと思う。毎朝の恒例となっているテレビ電話。

今日は、午前中は父が社協の集まりらしく(役員らしい)、母は留守番。朝9時に呼び出ししたが、既に父は外出中。

父、集まりの後に食事など誘われるらしいが、母のことがあるのでいつも断って帰宅するらしい。母には伝えていないと思うが、父も色々我慢しながら、母を見てくれているのだなと感じる。ありがとうお父さん。

 

母、テレビを見ながら、灯油ストーブで餅を焼いて食べていた😅本当に最近、間食が多い。むしろ、少食の母だったのに、認知症になってから本当によく食べる。

食べたこと忘れてるのか?それともお腹いっぱいなことも忘れるのか?

母は、私と違って食べても太らない、溜め込まない体質なのだ。羨ましい。

私は体質は父に似てるので、肥えるのを注意せねば。

 

とにかく、餅を食べているのが心配なので、話すことがなくなっても、食べ終わるまで見守り……

本人、大丈夫!と言うが、やっぱり心配。見えることでの安心感もあるが、逆に心配なところが見えすぎてしまうことも。それは仕方ないのかもしれないが。

餅を食べ終わったのを確認し、また午後にかける、と通話を切る。

 

母の表情、会話、何だか前より少ししっかりしたようにも見える。デイサービス通いが刺激になっている可能性は高い。

良いことだ。

いつ何があるか分からないし、心配もあるが、心配し過ぎず、今を大切にしようと思った今朝だった。

 

ほら、母は笑ってるよ。

朝、いつものようにアレクサでテレビ電話。はっ!と思い出し、その画面をスクショした。いつも良いお顔の母を撮ろうと思うのに忘れてしまうのだ。

私が、仕事に行ってくるね~と言うと、ばいばーい!と2人で手を振ってくれた。

これはぼかしているが、母は笑顔だ。

 

私が色々心配し過ぎている。テレビ電話を繋いでから、父母の様子が手に取るように見えて、逆に今までよりも父母との距離が近くなってしまい、気をもんでいるのだな、と自分で分かる。

同居の弟の気持ちがようやく分かった。こうやって毎日見ていたら、色々出来なくなっていく母を見て辛くなるだろう。哀しくなるだろう。

どうにかしたいと思っても、どうにも出来ないもどかしい気持ちもあっただろう。

それが、テレビ電話を繋いで毎日様子を見るようになって、初めて身にしみて分かったのだ。

 

私には意味のあることだった。

弟にももっと寄り添えると思う。とはいえ、実際私はそこにはいないから出来ることはないし、出来ないのだ。

それがまだもどかしくて、モヤモヤするのだろうなと感じている。

ドラえもん、早く、どこでもドアをください。

 

母の笑顔、毎日撮っておこう。

私が元気を出したい時、安心したい時、笑顔の母を見たいから。

 

 

母の変化を心に刻む

毎日恒例になりつつある、実家とのテレビ電話。
何故、テレビ電話をするようになったか、というきっかけを
記しておこうと思う。

昨年の10月頃、夕方父からヘルプの電話がくる。
お母さんが、死にたい死にたいと言ってるけど、どうしたらいい?
父からヘルプがくるなんてよっぽどのことだろうと思った。
電話を代わり私が少したしなめると、
そうだね…そんなこと言ってちゃだめだね、と母。
半分泣きそうな声で電話してきた父も、
私に話したことで冷静になったようで、母に怒ってしまったことを反省していると。

それから、毎日母と電話で話すようにしてきた。

母がまだ電話に出られるという安心感。
声が聞けて私も安心するし、母も少しは安心してくれるかも。という
期待を込めて。
実際、電話をするようになってから鬱っぽさが少々改善したようではある。

 

そして、昨年末から、echoshowを導入し、
毎日の電話が画像付きでより様子が分かるようになった。
始めは母もテレビ電話は慣れないようだったが、最近はようやく
カメラを覗いたり、こちらの様子を伺ったりしてくれるようになった。
私も父母との距離を近く感じるようになり、安心感もある。

ただ、良いのか悪いのか、母の表情がよく見えるようになったことで、
母の変化を敏感に感じ取るようになってしまった。

元気そうな表情、うつろな表情、、、、etc.


今朝の母、話すことはいつもと同じだが、
表情を見ると、無表情というか、表情が乏しいというか…

元々表情豊かな方ではなかったかもしれないが、
認知症になってから表情の変化が少なくなったなぁ、と感じる。
そしてさらに最近は特に、無表情のことが多いかも。


朝、母とテレビ電話をした後、仕事をしながら考える。
あの頃の母は、もう戻らないのだなぁ、と。
そして、涙が出てくる。

 

コロナが流行り始め、世界が一変したあの頃。
私は自分のことに精一杯で、実家の父母のことを想う余裕もなかった。
ほとんど連絡も取らなかったのではなかったか。
便りが無いのはいい便り、という言葉を鵜吞みにして、
父母はいつまでも元気なんだ、と根拠のない自信を持っていた。

多分、母の認知症状が進み始めたのはその頃からだったはず。
コロナで、外出もままならなくなり、
小さな会社の食事を作る仕事をしていた母は、その仕事も辞めた。
週一回通っていた、市の体操教室もなくなり、
毎朝友達と散歩していた習慣もなくなった。

どんなに心細かっただろう、淋しかっただろう…


そんな母のことは気にもかけずにいた。
言い訳のようになるけども、私も必死だったのは確かだ。
その時期は、夫が単身赴任で家におらず、
子供のことは自分一人ですべてこなさなければならなかったからだ。
実家のことを気にしている暇はなかったのも本当だし、
実家の父母は大丈夫、という謎の自信があったのも本当だ。

今更後悔しても遅いし、
あの頃の私の視野が狭かったのも認める。
弟から指摘された。あなたは利己的だ、と。
実際そうだったと思う。

だから、これからはその頃の分まで父母のことを大事にしたいし、
たくさん関わっていきたいと思っている。

そんなことを、仕事中悶々と考えて目を潤ませている。

母の変化を目にするのは苦しい、悲しい。
けども、変化を見ないまま、母がいなくなってしまったら
もっと後悔するだろう。

母の変化が悲しくても、淋しくても、
私はそれを受け止め、しっかり残していく。