おいもの人生ケセラセラ

40代主婦。子育ての日常と認知症母のこと。

母の変化を心に刻む

毎日恒例になりつつある、実家とのテレビ電話。
何故、テレビ電話をするようになったか、というきっかけを
記しておこうと思う。

昨年の10月頃、夕方父からヘルプの電話がくる。
お母さんが、死にたい死にたいと言ってるけど、どうしたらいい?
父からヘルプがくるなんてよっぽどのことだろうと思った。
電話を代わり私が少したしなめると、
そうだね…そんなこと言ってちゃだめだね、と母。
半分泣きそうな声で電話してきた父も、
私に話したことで冷静になったようで、母に怒ってしまったことを反省していると。

それから、毎日母と電話で話すようにしてきた。

母がまだ電話に出られるという安心感。
声が聞けて私も安心するし、母も少しは安心してくれるかも。という
期待を込めて。
実際、電話をするようになってから鬱っぽさが少々改善したようではある。

 

そして、昨年末から、echoshowを導入し、
毎日の電話が画像付きでより様子が分かるようになった。
始めは母もテレビ電話は慣れないようだったが、最近はようやく
カメラを覗いたり、こちらの様子を伺ったりしてくれるようになった。
私も父母との距離を近く感じるようになり、安心感もある。

ただ、良いのか悪いのか、母の表情がよく見えるようになったことで、
母の変化を敏感に感じ取るようになってしまった。

元気そうな表情、うつろな表情、、、、etc.


今朝の母、話すことはいつもと同じだが、
表情を見ると、無表情というか、表情が乏しいというか…

元々表情豊かな方ではなかったかもしれないが、
認知症になってから表情の変化が少なくなったなぁ、と感じる。
そしてさらに最近は特に、無表情のことが多いかも。


朝、母とテレビ電話をした後、仕事をしながら考える。
あの頃の母は、もう戻らないのだなぁ、と。
そして、涙が出てくる。

 

コロナが流行り始め、世界が一変したあの頃。
私は自分のことに精一杯で、実家の父母のことを想う余裕もなかった。
ほとんど連絡も取らなかったのではなかったか。
便りが無いのはいい便り、という言葉を鵜吞みにして、
父母はいつまでも元気なんだ、と根拠のない自信を持っていた。

多分、母の認知症状が進み始めたのはその頃からだったはず。
コロナで、外出もままならなくなり、
小さな会社の食事を作る仕事をしていた母は、その仕事も辞めた。
週一回通っていた、市の体操教室もなくなり、
毎朝友達と散歩していた習慣もなくなった。

どんなに心細かっただろう、淋しかっただろう…


そんな母のことは気にもかけずにいた。
言い訳のようになるけども、私も必死だったのは確かだ。
その時期は、夫が単身赴任で家におらず、
子供のことは自分一人ですべてこなさなければならなかったからだ。
実家のことを気にしている暇はなかったのも本当だし、
実家の父母は大丈夫、という謎の自信があったのも本当だ。

今更後悔しても遅いし、
あの頃の私の視野が狭かったのも認める。
弟から指摘された。あなたは利己的だ、と。
実際そうだったと思う。

だから、これからはその頃の分まで父母のことを大事にしたいし、
たくさん関わっていきたいと思っている。

そんなことを、仕事中悶々と考えて目を潤ませている。

母の変化を目にするのは苦しい、悲しい。
けども、変化を見ないまま、母がいなくなってしまったら
もっと後悔するだろう。

母の変化が悲しくても、淋しくても、
私はそれを受け止め、しっかり残していく。