新年も七日目。
家族の健康を祈り、七草がゆ。
子どものころは、七草がゆが好きではなかったなぁ、とふと思い出す。
私の実家は、暦に基づいた風習を大事にする家だった。
年末は、杵と臼で本格的な餅つき。
おせち料理は、母と祖母が手作り含めて重箱に詰め、
元旦は太平洋から昇る初日の出を拝みに行き、
一家の長である父が新年の挨拶をしてから、おせちやお雑煮を食す。
節分は、柊にイワシの頭をさして飾り、豆まき。
ひな祭りや、こどもの日、お彼岸やお盆、十五夜……etc.
季節の風習を大切にすることは、祖母や父母から教わった。
そして、それらは今私が自分の子供たちに細々と教えている。
逆に夫の家では、そのような風習を大切にしてきた様子はなく、
私が季節の風習を愛でると驚く始末。
そのようなことが当たり前だった私から見ると、
家によって随分違うものだな、と私も驚く。
季節の風習を大事に、当たり前のように教えてくれた祖母や父母には
感謝している。
毎朝ご先祖様に手を合わせることも、祖母や父母がやっていたから
自然に身についた。
もちろん、そのようなことをしなくとも生きていけるし、
生活には何の支障も出ない。
だが、これは気持ちの問題だと思っている。
季節に想いを巡らし感謝する、ご先祖様に手を合わせ感謝する。
その想いの大切さを、私は教えてもらったと思っている。
今はその風習も、母は何にもできないし、しなくなってしまった。
認知症になり、暦も分からなくなってしまっているので
仕方ないとはいえ、悲しくなる。
この間の帰省の時は、仏壇の花が枯れているのが気にかかった。
いつもきれいな花を絶やさず仏壇に飾っている母を、
私は誇りにさえ思っていたのに。
まだ元気な父が、今はできることを細々とやっているのだろう。
今年両親は、七草がゆを食べたのだろうか……
そんな思いが渦巻く、一月七日。