ご無沙汰のこちらのブログ。気持ち忙しく、ブログまで手が回らない状況でした。
と言っている間に、時間は刻々と過ぎ、2025年に突入。
今年もよろしくお願い致します。
ブログの運用はボチボチしていこうと思っています!
さて、昨年2024年中盤から後半までの母の様子を
記していきます。
夏に家族で帰省してから、10に二度、12月、と後半は割と頻繁な
帰省をしていました。
10月は通常通りの日帰り帰省で、
冷蔵庫の片づけや、トイレ掃除、気になるところ掃除等を中心に。
母は日を追うごとに家事がどんどんできなくなっていっています。
やる気が起こらない、というのもあるようですが、
できることが減ってきている、と見ていて思います。
料理はほぼできず、掃除などもしません。
唯一、食後の食器洗いは母がやっているようですが、
ほとんどの家事を父がしている状況です。
母が認知症になる前は、家事はほぼしていなかった父。
食器を丁寧に洗い、布巾できれいに拭いてしまう姿は
なんだか新鮮でした。とはいえ、その後ろ姿からは一抹の淋しさが漂っていました。
切ない気持ちになりました。
私が帰省したことも翌日にはきれいさっぱり忘れている母ですが、
できるだけ楽しい気持ちや、嬉しい気持ちをたくさん感じてほしい、
一人で母を支えている父を少しでもサポートしたい。
その気持ちで毎回帰省しています。
本当はもっと長く滞在して力になりたいところですが、
今は2,3か月に一度の帰省で精一杯です…
10月帰省の後は、年末…の予定でしたが、
同じ月の後半に父の次兄が突然旅立ってしまい、
父の次兄である私の叔父の葬儀に参列するために急遽再帰省。
両親だけでは、隣県の叔父の葬儀に参列は難しいと思い、
私の運転で隣県まで両親を連れて行きました。
父の兄弟は、長兄、次兄、父。
三兄弟の中でも、父は次兄と一番仲が良かったと聞いていたので、
最期にどうしても会わせたかったのです。
母も、長時間のドライブを頑張ってくれました。
何度も叔父の顔を見て、どうして死んじゃったの?と話しかけ、
私の従妹(母の姪)の顔も忘れてしまっていて、あれは誰?と
何度も聞いていました。
翌日には葬儀に出たことも覚えていませんでしたが、連れていけてよかったです。
その後は、毎日アレクサで日に二度繋いで、
母の様子を見てきました。
父と喧嘩をすることも減ったのかもしれません。
父も母の変化を柔軟に受け入れているように感じます。
夕方になると、もう死にたい…と
鬱のような気持ちになることはまだあるようですが、
前ほど長引かなくなってきたように思います。
こちらが母の気持ちを受け入れてあげ、励ましてあげると
気持ちが切り替わるようです。
そして12月の年の瀬に2泊で帰省し、
少しでも綺麗な家で年が越せるように、と掃除等頑張ってきました。
父はほとんどの家事と、毎日の買い物に母を連れて出てくれているので、
掃除等はやはり行き届かないところも多く。
今回は、寒いお風呂の窓に、100均のプラダンでDIYした内窓を取り付けたり、
両親の寝室の大きな窓に断熱カーテンライナーを取り付けたり、と
防寒対策と掃除中心の帰省でした。
そんな中でも、母の変化は顕著に感じざるを得なく…
尿失禁が再び多くなっている様子で、
尿パッドをまた使わなくなっているのかも、使い方を忘れたのか…
私が帰る前日の夜には、便失禁も。
本人には伝えず、そっと始末しました。
失禁したことを忘れてしまうので、後で指摘しても実感が伴わないようです。
その時に気づければいいのでしょうが、本人は隠そうとするので、
後からその残骸などを見つけることが多く…
失禁は、本当に難しい問題ですね…
デイサービスからもらってきた一年間の写真集があり、
見せてもらうと、楽しそうに他の利用者さんと写る母の姿。
デイでも色々問題はあるのですが、写真を見る限り楽しそうなので
安心しました。
母へ、パワーストーンのブレスレットをプレゼントしてきました。
邪気を払い、精神安定、浄化などの効果がある石を使ってもらいました。
最初微妙だったけど、翌日付けてくれてたので、気に入ったくれたかな。
出来ないことや困ったこと、介護者の視点で見がちですが、
一番つらいのは本人だし、苦しいのも本人なのだと
改めて感じました。
私と手を繋いで歩いて、おいもの手はあったかいねぇと言ってくれた母。
どうかもう少し育ててもらった恩返しをさせてね。
来年も元気でいてね。